2001年10月9〜12日

 長崎原爆資料館の見学が目的、偶然に長崎到着日は「長崎くんち」というお祭りの最終日だったけれど雨のために翌日に順延。ラッキーな事に翌日街の中あちらこちらでその風景を見ることが出来た。

原爆資料館入場チケット

 

富士山

  出発前夜39.2度の高熱を出したけれど、なんとか初雪の富士山を眼下に飛行機は快適な飛行で長崎に午後に到着、ホテルに荷物を置いて早速原爆資料館を見学した。修学旅行生は流れながら見学していたが、数人の外国人は時間をかけて説明文を読んでいたようだ。広島の資料館も見学している私としては、もうすこし悲惨な現実を表現しても良いように感じだ。とにかく、地球上で原爆被災地は日本の長崎と広島と言うことをもう一度認識したいものです。

 

 二日目、延期になっていた「長崎くんち」が諏訪神社で賑わっている前を通り「シーボルト通り」と「トロトロ坂」まで。途中、春徳寺に寄ると「くんち」のかけ声が届き、住職と挨拶を交わす。トロトロ坂にかかる「古橋」は文化財、地元の女性が歩いていた。歴史あるものがそこら中に一体化しているので旅人には気がつきずらいかも。

 甘酒がお店で良く目に付いた。興味はあったけれど買わなかったことを帰ってきてから悔やむ。おいしいのかな?

古橋     甘酒ののれん

丸山オランダ坂
丸山オランダ坂

一日乗車券

 長崎は路面電車が走っているので一日乗車券(\500)を二日間利用したけれど、どの運転手も乗客には優しくないと感じた。車内放送は荒く、お年寄りの問い合わせにも投げやり、あの会社の体質が見えたように感じる。札幌、函館、広島いずれもとても感じがよいのに・・・。

 

大阪からの旅人  カステラ本家  散策誘導足跡

 上写真4枚は、「思案橋」付近。昔、日本三大華街の一つだった。「行くか戻るか」と迷うので付いた「思案橋」。梅園通りを登っていくと「梅園身代わり天満宮」がある。昔の遊女たちが参拝し無事を願っていたという。長崎には「オランダ坂」が数カ所あることは知られていなく、この「丸山オランダ坂」は、遊女が出島オランダ屋敷に行くのに通ったと言う説、西洋料理屋「福屋」に行くのに通ったと言う説があるらしいが定かではないらしい。大阪から来たという年輩のカメラマン?は石段で休んでいた地元の方にシャッターを切っていた。

 

 長崎は山に囲まれているなんて知らなかった。路面電車をフルに利用してちょっと小道にはいる。坂道と階段、そして途中のベンチなどで休んでいると気軽に声をかけてくれる近所の方々も広島県尾道市にそっくりだ。

写生会の子供達海星学園の裏道石橋付近の階段

 

 

踊り1

「長崎くんち」はすごい!
何がすごいのかは、みなさん調べてくださいね。

 

踊り

 

平和公園の鶴

 平和祈念像の手

 平和記念公園、修学旅行生が千羽鶴を納め、祈念像の指先から鳩が私を見下ろしていた。

 

 

  浦安天主堂の入り口には、被爆した像が痛々しく街を見守っているように見える。

 近くの山王神社の二の鳥居は、爆風によって一本になり今日まだそのままに保存されている。

 「坂本国際墓地」に立ち寄ると、「フランス」「アメリカ」「ユダヤ」「イギリス」人約400人が異国の日本に眠っている。墓石も様々な形で歴史の深さが心から感じられる。静かな木漏れ日のなか、母国に思いは伝わっていることを願うのでした。

ステンドガラス一本鳥居

聖人殉教西城公園

 「日本26聖人殉教地」、長崎駅前の小高い西城公園に隣接していた。

 今回の旅は、地元のHP管理者のtomoさんにサポートしていただき大変助かった。ありがとう(o^^o)

 今回、私の抱いていた長崎とは違う長崎を発見できました。山に囲まれ坂の街長崎、歴史的建造物が街と一体化して現在も大切に使用されている長崎、まだまだ知らないことがたくさんあるのだろうけれど、観光の街長崎ではないところを見て歩けたことは、私の旅のポリシーでもあるけれどtomoさんはじめ、地元の方々にお話を聞けたことに感謝いたします。

2001年福島2001-6  2002-32002年尾道

おまけ  cat1.gif長崎の私たちなの